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オープニングプレミア上映『追憶』の舞台挨拶に凰稀かなめさんも登壇!

2015年10月15日(木) レポート

10月15日から始まった『京都国際映画祭2015』。よしもと祇園花月では、オープニングプレミア作品として小栗謙一監督の『追憶』が上映されました。

 

第二次世界大戦中の1944年、日米の激しい戦闘が繰り広げられたペリリュー島で何が起きていたのか、その実態に追った『追憶』。第二次世界大戦終結から70年に当たる今年4月、太平洋の各地において激しい戦塵に倒れた幾多の人々の上を思い、天皇皇后両陛下がパラオ共和国を訪問、ペリリュー島で72日間に及ぶ激戦の末、帰らぬ身となった人々を深く偲ばれました。

1944年にペリリュー島で何が起きていたのか。1万人の日本軍兵士、1700人の米軍兵士が戦死し、パラオの人々も空襲や食糧難、疫病によって犠牲者となった事実を現代に残された様々な資料・証言・手がかりから「追憶」として現代人の心のなかに正しい記録として遺しています。

上映前の舞台挨拶には奥山和由プロデューサー、小栗謙一監督、原案の升本喜年さん、ピアニストの小林研一郎さん、そして元宝塚歌劇・宙組トップスター、凰稀かなめさんが登壇されました。凰稀さんは、宝塚歌劇団で舞台『ロバート・キャパ魂の記録』で主演されていたこともあり、戦争を題材にした『追憶』にも共感を覚えてくださり、今回の舞台挨拶に花を添えていただくこととなりました。

舞台挨拶は、清水圭の司会で進行。

本作品の製作にいたるまでを奥山さんがご説明されました。
「今年の頭に、原案者の升本さんにお電話いただき、『愛の手紙』という本を書いたんだけども読んでくれないかと言われました。10年に1回、運命を感じることがあるのですが、この時もすぐに飛んで行かないとと思って升本さんの元へ行きました」と、『追憶』製作のきっかけを語る奥山さん。その後、天皇皇后両陛下がパラオ島に拝礼に行かれたニュースを見ていたときのこと、奥山さんは「なんて美しい後姿なんだろう」と思った直後に、「あの本だ!」と思い出し、すぐに小栗監督に連絡を取られたそうです。

 

小林研一郎さんにぜひ、音楽をお願いしたいと思った奥山さんですが、もう一つこだわったことがありました。それは、美輪明宏さんの語り。「ドキュメンタリーとして作る方向にシフトしたのですが、美輪さんの声がでどうしても欲しくて。美輪さんじゃなければだめだと。美輪さんからOKが出たらGOしましょうと進めたのが4月でした。それから『京都国際映画祭』に間に合わせましょうということで、よく間に合ったものです」と笑いながら制作秘話を披露されました。

原案者の升本さんは、饒舌にこの作品が生まれたエピソードを語られました。第二次世界大戦で激戦地となったパラオ・ペリリュー島での戦いを追った本作は、かの地で日本軍の総指揮にあたった中川大佐が妻にあてた手紙がもとで生まれました。升本さんは、中川大佐と同じ熊本県玉名市出身であることや、その手紙を読んでほしいと中川大佐の親戚筋から頼まれたことなど、そのご縁を紹介されました。奥山さんにプロデュースを依頼した理由も「奥山さんは男の心情を、中川さんという勇将の心意気をキャッチする感性を持たれている方だから」と明かしました。流ちょうな語りで、なかなか終わりそうにない升本さんの舞台挨拶。最後には「改めて講演会で!」と奥山さんが間に入る一場面もありました。

小栗監督には、『京都国際映画祭2015』のワールドプレミア部門として、本邦初公開された気持ちをお聞きしました。「ドキドキしています。升本さんがお話してくださったように、ペリリュー島は日本とアメリカの若者が2ヶ月半の間に1万数千人亡くなりました。私も現地に行きましたが、今でも“忘れないで”と霊の声がするような気がしました。今日も会場にいるんじゃないかと思うぐらいです」とコメントされました。

音楽を担当された小林さんは、なんと映画が出来上がる3週間前に依頼されたそうです。なので、「観てはいないのですが」とのことでしたが、どんな思いで作られたのか切々とお話されました。「皇居で皇后陛下のピアノを聴かせてもらう機会がありました。東日本大震災の後で、皇后陛下は“こういうふうに悲しまれていますよね”とピアノを弾かれました。その時の音色と、今回、監督がお作りになった映画とに共通点があり、何とかピアノで皇后陛下の思いを伝える方法はないか考えました。皆様の心の襞に触れるかは分かりませんが、そんな気持ちで聞いてもらえたらと思います」。

ここで、ゲストに凰稀かなめさんがご登場! 今年2月の宝塚歌劇団退団後、初めて公の場に立たれた凰稀さん。すらりとしたスタイルで、颯爽と舞台に登場されました。そして、奥山さん、升本さん、小栗監督、小林さんが遠巻きに凰稀さんを囲みます。その立ち位置に「白雪姫と七人の小人たちみたい(笑)」と清水、会場は爆笑の渦に巻き込まれました。

凰稀さんは、「ロバート・キャパという戦場カメラマンの役をやらせてもらいましたが、そのときに真実を伝える写真に興味を持ちました。今回、映像で真実を見て勉強になりました」とご感想を述べられました。特に印象に残ったシーンはアメリカ兵が「大和魂」と言っている場面だったそう。「その中で、今の自分がどういうふうに生きているか、人と人との出会い、日本人としてどういいふうに生きていかなければならないか、すごく考える作品でした」と明かされました。

「我々も含め、戦争を知らない世代に観てほしいですね」と清水が話すと、凰稀さんは「人のために何かをする、相手のために何かを考える、その温かさもありました。“もうやめようよ”と声をかける米兵の姿にぐっときました」と、作品から強烈なメッセージを受け取られたようでした。

 

宝塚歌劇退団後、初めて公の場に立たれた凰稀さんですが、奥山さんに「ロバート・キャパはもうやらないの?」と聞かれ、「今まで“男”で。今、女性に戻ったので違う役をやりたいです」とはにかみました。

 

最後に小栗監督からのメッセージがありました。「この映画を作る際、日本側の資料はまずありませんでした。写真もなければ映像もない。ほとんどの手紙も処分されているという状態でした。なので、アメリカの国防総省にお願いして、約50時間ある『ペリリュー島戦』というフィルムをお借りして編集しました。そこから見えてくるものは、戦争とはこういうこと、戦場とはこういう場所だということ。疑似体験ではないですが、そういったことを映画から観てほしいと思います。生きている意味ももちろんですが、死からも何かを感じていただければ」と作品へ込めた思いを語られました。

『追憶』の舞台挨拶を終えて、凰稀さんにご感想を聞きました。

「久しぶりに公の場に出たので、とても緊張しました。ですが、素晴らしい監督、小林さん、たくさんの方々と一緒に舞台に上がらせていただき、袖でもお話を聞かせていただき、とても勉強になりました」と凰稀さん。

 

『追憶』を鑑賞され、「『追憶』はキャパと似ている部分が多くて、共感できる部分が多かったので、懐かしいなと思いながら、やっぱり戦争は嫌だなと改めて思いました。また、どちらの意見もあるなと思いました。何がよくて何が悪いか、どっちが悪くて、どちらが悪くないか、そういうことも正直分からない。だから、いろんなお話を聞いて、何が正解なのかなとすごく考えさせられましたね。ご覧になった方々それぞれに思うことがあると思います」と心情を語られました。

 

会場となったよしもと祇園花月には、多くのファンの方が駆けつけてくれました。「まさかあんなに来てくださるとは思いませんでした。すごく嬉しかったです」とファンの方との“再会”を楽しまれていた様子でした。

 

宝塚歌劇の退団から約8ヶ月。「とりあえず歩き方は気をつけなきゃいけないなと思いながら、やっぱり肩で風を切って歩く癖は治らないなと、15年間やってきた男役生活はなかなか取れないなと痛感している最中」とのこと。スカートもたくさん購入されたそうで、舞台挨拶の衣装も実はスカート。「でもやっぱり勇気が出ないなと思って」とパンツスタイルでの登壇となったそうです。

 

舞台挨拶でも「舞台に限らず映像にも出られるよう、勉強しています」と話されていた凰稀さん。「まず、いろいろな作品を勉強していきたいなと思っています。映画も挑戦できたらやってみたいと思いますし、いろんなことに挑戦したいです」と今後の展望も明かされました。